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アースデイマネー10周年記念イベント
柄谷行人氏記念講演
「資本主義とその対抗運動」

2011.12.01 UP

アースデイマネーの創設10周年となる2011年10月23日を記念し、文芸評論家・思想家の柄谷行人氏をお招きして、記念講演会を開催しました。以下、その様子をお届します。

【参考】講演会の開催概要はこちらをご覧ください
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今日は、「自然と人間」について話すと予告されていますが、私は大分前にこのタイトルで講演したことがあり、その内容をまとめたものが雑誌に載り、さらに、最近刊行された『「世界史の構造」を読む』(インスクリプト)という本の中に収録されています。したがって、今日は、アースデイマネーにちなんだ、別の話をすることにします。

アソシエーションと共同体

 先ほど、池田さんは10年前にアースデイマネーという地域通貨運動を始めたとき、私が1998年に地域通貨について書いたことや、2000年に私が開始した社会運動NAMからの影響があった、といわれました。それについて話すことから始めます。

 NAMとは、New Associationist Movementの省略です。「新しいアソシエーショニスト運動」という意味です。アソシエーションというのは特別な概念ではなく、ありふれたものです。たとえば、PTAとは、親と教師のアソシエーションです。アソシエーションは組織形態の一種です。ただ、アソシエーションには、他の組織とは違った性質がある。それを理解するために、他の二つの組織と比べてみましょう。一つは、共同体、もう一つは、会社です。

 第一に、アソシエーションは共同体と似ています。いずれも相互扶助的な集団だからです。しかし、それらが根本的に違うのは、つぎの点においてです。アソシエーションは、そこに入ってくる人が自発的に入ってくるような組織です。一方、共同体にはそのような選択がありません。人は親を選べないのと同様に、共同体を選べない。気がついたときには、すでに共同体に属しています。共同体というと、農村共同体のようなものを考える人が多いと思いますが、それだけではありません。家族、部族、民族、国民国家といったものは共同体的です。このような共同体においては、自由な個人は存在できない。個人よりも共同体の意志や掟が先行するからです。共同体はその成員を扶助しますが、よそ者に対して排他的です。

 それに対して、アソシエーションは、共同体から一度離脱した自由な個人が自主的な契約によって形成する社会集団です。それは共同体のように相互扶助的ですが、人を拘束するものではない。したがって、そこから脱退することも自由です。

 つぎに、会社(資本制企業)はどうか。これもまた、共同体から離脱した自由な個人によって形成されているように見えます。しかし、会社において、個人は自由ではなく、従属的です。また、共同体と違って、そこでは人々が互いに競争的です。会社は終身雇用制などを通して、共同体のような外見が装われることがありますが、不況になれば社員は解雇される。したがって、それは、共同体とはほど遠いものです。

 このように見ると、アソシエーションが、共同体でもなく、会社でもないような組織集団であることを理解していただけるでしょう。アソシエーショニズムとは、共同体的な拘束を斥けながら、同時に、資本主義的な利益社会(ゲゼルシャフト)を越えた新たな共同体を実現することを目指すものです。
 

内在的対抗と外在的対抗

 アソシエーショニズムに関して、もう一つ、大事な点があります。ふつう、資本主義を否定する運動は、国家によって資本を規制しようとします。一つは、国家権力によって資本主義を廃棄し、全経済を国家的な管理の下におくものです。これは俗に社会主義とか共産主義とかいわれるものですが、今後に、影響力をもつことはないでしょう。もう一つは、議会制民主主義の下で資本主義経済をゆるやかに規制し管理していく「社会民主主義」です。これは現在も強いし、今後においても強いでしょう。たとえば、新自由主義がもたらす階級格差に対する反対運動があります。しかし、これは大概、国家による資本の規制、つまり、ケインズ主義的な政策、富の再分配を目指すものになります。これは結局、国家への従属を強化することに帰着するのです。

 それに対して、アソシエーショニズムは、国家権力に依拠することなく、資本に対する対抗運動を行うものです。いいかえれば、アソシエーショニズムは、資本と国家に、同時に対抗するような運動です。

 NAMにおける資本と国家への対抗運動は、二つに分けられます。一つは内在的対抗、もう一つは超出的対抗です。第一の内在的対抗とは、資本主義の内部でそれに対抗するものです。これはむしろありふれたものです。たとえば、労働運動や反原発運動などは、そのようなものです。第二に、超出的対抗とは、資本主義的でない経済圏を自分たちで作ってしまう、ということです。それは具体的にいうと、地域通貨や生産・消費協同組合です。
この二種類の対抗運動は、通常、分離されています。たとえば、労働運動と消費者運動は分離されている。しかし、この二種類の対抗運動はどちらも必要なのです。第一に、資本主義と国家への対抗運動は必要です。それと同時に、資本主義と国家なしにやっていけるような経済と社会を創り出す運動が必要です。たとえば、地域通貨や生産・消費協同組合の拡大です。そして、それらを同時的に行おうということが、NAMの理論です。

 NAMは二年で解散しました。以後、それは固有名詞ではなく、一般名詞として「新しいアソシエーショニスト運動」を意味するものです。だから、2000年の時点にあった細部の事項にこだわる必要はありません。大事なのは、以上に述べた理論的な核心です。
 私がNAMを創設したとき、多数のアソシエーションがアソシエートされる「アソシエーションのアソシエーション」というイメージで構想したのですが、NAMに参加してきたのは個人がほとんどで、NAM全体が一つのアソシエーションにしかならなかった。だから、解散したのです。ただ、その時点でも、小さいながら、幾つかのアソシエーションがありました。それは、有機農業をやっていた人たち、消費者協同組合、地域通貨、さらに、ホームレス救援活動などですね。彼らはその後も健闘しています。池田さんらがはじめたアースデイマネーもその流れの中にあるといえます。
 

資本主義は、増殖できなくなったら終わる

 新しいアソシエーショニスト運動は、これからいよいよ大事になると思います。というのは、世界資本主義の危機がますます深まっているからです。世界経済の破綻の中で、人々が生きていくためには、地域通貨や協同組合が不可欠です。国家や資本に依存しているだけでは、危機の中にいよいよ飲み込まれてしまいます。

 現在の資本主義の危機は、信用や金融の面で語られています。しかし、その根底に、一般的利潤率の低下があります。利潤率が低下すると、資本は増殖できない。資本は、増殖しているかぎりで資本なのです。私の考えでは、資本の増殖は、価値体系の差異から剰余価値を得ることによって可能になる。したがって、差異がなくなれば、資本の増殖はない。ゆえに、資本主義はそこで終るのです。

 資本の蓄積(増殖)には、三つの型があります。

1. 商人資本 M―C―M’
商人資本は空間的な価値体系の差異から剰余価値を得ます。その差異が大きいのは、遠隔地交易です。近い所では差異が小さいので、商人資本は成立しにくい。歴史的には、遠隔地交易の場合、国家が中心となり、また、交換レートが決まっていました。それは、技術革新が少なかったからです。

2. 金貸し資本 M―M’
これは商人資本に付随して出てきます。たとえば、商人が交易によって利潤を得ることが予想できるのに、資金が不足している場合、その者に金を貸して、利潤の一部を利子として受け取る。それが金貸し資本(利子生み資本)です。金貸し資本は、商人資本とほぼ同時的に始まった。この二つは太古からある形式です。マルクスはそれらを「ノアの洪水以前からある」といっています。前近代までは、この二つが発展しました。たとえば、銀行や株式会社も、商人資本の発展によって生じたのです。産業資本が出て来るのは、それらがすべて整備された上においてです。

3. 産業資本 M―C( )―M’
 産業資本が商人資本と異なるのは、Cの部分が、生産手段・原料(不変資本)と労働力商品(可変資本)だということです。これは、具体的にいうと、資本家が工場・機械などの生産設備を用意し、賃労働者を雇用するということです。この場合、Cが生産手段・原料だけなら、商人資本と同じことになるから、産業資本に特徴的なのは、労働力商品です。

 この商品はふつうの商品と違って、資本が作れないものです。少ないからいって急に増やすこともできないし、多いからといって廃棄することもできない。といっても、労働力の価値は、他の商品と同じく、価値体系の中で決まります。具体的にいえば、それは他の商品、特に、食料・衣類その他、再生産のためのコスト(教育その他)に応じて決まる。つまり、それは他の商品との関係によって異なります。それは地域によって異なるし、時間的にも変容します。

 では、労働力商品はなぜ重要なのか。商人資本では、遠隔地からの奢侈品が中心です。たとえば、オランダが世界経済のヘゲモニーを握った時代、主要な生産物は奢侈品でした。それに対して、イギリスで始まった産業資本は、労働者自身が買うような日常品を生産したのです。それによって、資本は、総体としての労働者が、自分らの作ったものを買いもどすという過程を通して蓄積されるようになる。このような「生産=流通過程」において、差額(剰余価値)が生じるようになっている。それが産業資本に固有の蓄積方法なのです。

 産業資本は、商人資本と同じことをやるのですが、もはや遠隔地まで行く必要がない。同じ所にいても、時間的に差額が生じるからです。また、賃労働者は農奴とは違う。なぜなら、農奴が自給自足できるのに対して、賃労働者は、生産手段(土地)がなく、資本の下で働く(労働力商品を売る)ほかに生きていくすべがないからです。また、賃労働者は奴隷とも違う。それはたんに彼らが自由であるということだけではない。賃労働者は、自分らが生産したものを買いもどす消費者です。一方、奴隷は消費者ではありません。主人が買うのだから。そして、どんな怠け者の奴隷であっても、奴隷所有者が面倒を見なければならない。ところが、産業資本は、賃労働者の面倒を見る必要などありません。不要になれば、解雇すればよいからです。

 資本蓄積の三タイプでは、3の産業資本が最も発展した形態です。1.商人資本と2.金貸し資本は、産業資本の優位の下で、それに従属する一環というかたちになります。しかし、それで終るわけではない。産業資本が発展すると、逆に、1.と2.が3.よりも優位に立つようになるのです。たとえば、重工業以後の段階では、2.は、銀行、証券会社などの金融資本として産業資本を支配するようになります。また、1.は、穀物・石油メジャーなどの多国籍企業、総合商社として、産業資本の上に立ちます。

 三つの蓄積のタイプは異なりますが、大事なのは、どのようなタイプであれ、資本は差異から剰余価値を得るということです。そして、どこからそれを得ても構わない。価格の差異があれば、どこでも資本が発生するからです。たとえば、産業資本も原料を仕入れるとき、それをより安いところから得ようとする。労働力に関しても同じです。安い労働力を、移民として受け入れるか、さもなければ、外国に工場を移転するわけです。より安い労働力と新たな消費者を得るために。

 さらにいえば、株であれ、為替相場や商品相場であれ、差異があれば、資本の増殖が可能です。その場合、産業資本よりも、差異から利潤を得る、商人資本や金貸し(金融資本)のほうが楽なのです。設備投資、および、労働者を雇う手間をかけないですむから。だから、「金融工学」とやらを駆使して、差額から利潤を得ようとする。それは、?のようなやり方です。

 この三つの蓄積のタイプは今も生きています。それらが互いに補完しあう関係にあります。歴史的に見ると、ヘゲモニー国家は1、2、3すべてにおいて他を圧倒するのですが、?の領域では衰退し、1や2の形式に向かう傾向があります。つまり、産業資本における優位をうしなったあとも、金融と商業においてヘゲモニーをもち続けます。たとえば、オランダがそうであったし、その後のイギリス、そして、現在のアメリカもそうです。アメリカは金融や商業において依然として強い。しかし、それはまさに、アメリカが没落過程にあるということを証すものです。

 しかし、1と2による蓄積は、根本的に、3にもとづいています。3がなければ、1と2だけでは、資本の蓄積は続かないのです。その意味で、資本主義にとって最も重要なのは、労働力商品です。資本主義の命運は、これによって決せられます。
 

資本主義が行き詰まると何が起こるか

 19世紀末のヨーロッパに生じたのは、これらが限界に達したことです。そこでは、重工業が中心となった。そのため、設備投資(不変資本)の分が増大し、ゆえに、一般的利潤率が低下したのです。その結果、資本の過剰が生じ、慢性不況となった。それを解決するためになされたのが、「資本の輸出」です。たとえば、海外での鉄道敷設です。日本でいえば、満州鉄道。こうした資本の海外への輸出は、帝国主義的政治・軍事を伴います。それが帝国主義戦争に帰結したわけです。

 このような限界から脱出する道は、1930年以後のアメリカに開けました。大恐慌のあとです。ルーズベルト政権の下で、金融資本や独占資本を規制し、資本の富を労働者に再分配する政策がとられるようになった。資本と国家が、ロシア革命のあとですから、放置しておくと、社会主義革命になってしまうのではないかと、恐れたからです。また、第二次大戦後はソ連圏(第二世界)だけでなく、植民地(第三世界)の独立があったため、資本は先進国(第一世界)の内部で蓄積を果たそうとしました。こうして、消費社会、福祉国家が形成されたのです。

 その際、最も重要なのは1930年以後、生産の中心が重工業から、自動車・電気製品など耐久消費財に移ったことです。その結果、労働者自身が生産したものを買うようになった。さらに、消費者ローンのシステムが始まったことも大きい。住宅ローンも重要です。住宅建設は他の生産部門全体に波及するからです。こうなると、労働者は資本の下で自分らが生産した物を、資本から金を借りて、買い戻すことになる。この時点で、資本主義のオートポイエーシスは永続的であるように見えました。

 しかし、そうは行かなかった。1970年代初めに、それは飽和状態に達したのです。一般的利潤率の低下が表面化した。先進国の閉じられた体系の中では、資本の蓄積はできない。投資できるところがないから、資本は過剰になる。以来、世界資本主義には深刻な危機が続いています。

 一般的利潤率が低いときに、資本が一国内で高い利潤を得ようとすると、第一に、税を減らすことになります。つまり、福祉などの社会政策や公共事業などを削減することです。第二に、金融資本などへの法的規制を取り払うことです。その結果、富の再分配がそれなりになされていた福祉国家と違って、貧富の格差が急激に広がります。しかし、資本はそんなことを構っていられない。また、それに対する労働者側の抵抗も少ない。というのは、それをあらかじめ抑えこんであるからです。

 もちろん、国内だけでは、利潤率を確保できません。それでどうするかといえば、「資本の輸出」です。つまり、これまで第二世界・第三世界であったところを、世界市場に入れてしまうことです。このような政策は「新自由主義」と呼ばれますが、実は、一九世紀末の帝国主義の再版です。アーレントは、帝国主義において、資本はネーションの軛から解放された、といっています。つまり、それは「資本の専制」です。新自由主義もまったく同じです。

 しかし、それによって、資本主義は内在的な限界を克服できるでしょうか。第一に、絶対的剰余価値、つまり、新たな労働者=消費者の参入についていえば、これは、農民が大多数であった中国やインドが世界市場に入ることで、実現されました。しかし、それは長く続かない。急激な高度成長の結果、中国やインドでは、すでに賃金の上昇、消費の飽和に達しつつあります。

 第二に、相対的剰余価値についていえば、これは情報通信の技術革新によって実現されましたが、それは重工業と同様に、雇用を減らすものです。他に、飛躍的な技術革新の可能性はありません。かつて自動車や電気製品のような耐久消費財が出てきたときにあった画期的変化は、もはや期待できない。また、そのような耐久消費財は新たに世界市場に参入した地域で急激に普及しますが、まもなく飽和状態になります。以上をいいかえれば、資本主義経済の外部がなくなると同時に、その内部における差異化の可能性もなくなった、ということです。それゆえに、資本主義の命運は尽きた、というほかありません。
 

お前はもう死んでいる

 しかし、それは自動的に終ることはない。資本と国家は延命しようとして、なりふりかまわず死にものぐるいであがくに決まっているからです。一九世紀末には帝国主義戦争が始まった。今後においても、類似したことが起こるだろうと思います。『北斗の拳』というマンガで、「お前はもう死んでいる」という台詞がありましたが、あれと同じで、資本主義は死にかけているのに、まだ暴れ回る。そして、デスパレートになった人々は、それに同調するようになる。

 だから、それに対する対抗運動が必要です。しかも、先ほど言ったように、二種類の対抗運動が必要です。とりわけ、超出的な対抗運動が。というのは、それは、内在的な対抗運動と違って、急に創り出せないからです。たとえば、人びとは、ある日突然、地域通貨を使うということはできません。前もって実践していないと、いざというときに使えない。生産―消費協同組合も同じです。資本主義的市場経済が崩壊したときあわてずにすむように、今から用意しておかないといけない。このような対抗運動がないと、人々は国家に助けを求め、また資本のために戦うことになる。つまり、帝国主義戦争に巻き込まれることになってしまいます。

(アースデイマネー 池田正昭)

 柄谷さんの言う、国家と資本がなりふり構わず振りかかってくる、という言葉を、10年前に聞いてカッコいいなあ、と思ったんですが。でも、10年前はまだ呑気でしたが、いまはそのことがリアルに感じられるように思います。今日は貴重なお話を、ありがとうございました。